「気分転換」というワナ
時間の使い方って難しい。
自分の行動を御さないといけない、というよりも、自分の場合は感覚の勘違いに気づかないといけない、というほうが正しいかも。
疲れると気分転換したくなる。
日中頑張って仕事して、帰ったら夕飯の片付けに娘の相手に……自分頑張ってる。
なんか疲れたな…よし、気分転換だ!と思って、ゲームなどやり始めると、いつの間にか時間がどんどんなくなっていく。
ああ、もう寝ないといけない。
本当は部屋の整理を考えないといけなかったのに。あ、ネットであれ注文するの忘れてた。読みかけのあの本も読みたかったな。妻と話す時間をもうちょっととればよかった。
そんな後悔は何回しただろうか。
「気分転換」とはなんぞ
ゲームをすれば気分転換になる、というのは、長年培ってしまった感覚の勘違いだ。
子供のころからゲームが好きだった。特にRPGが好きで、FF9を3回買い直すというアホなことをやらかしている。(switch版を入れれば4回だった)
テストで頑張るとゲームを買ってもいい権利がもらえる(※買ってくれるとは言ってない)という我が家のシステムがあったため、ゲームがご褒美、という感覚があったのだろう。
暇ならゲーム、疲れたらゲーム。
体を動かすことが日課になっていた時期もあるのだが、社会人になって仕事のストレスが増えると、少なくなった残り時間の中で無理やりゲームをするようになっていった気がする。
今思えば、なんてもったいない時間の使い方だったんだろう。
気分転換というよりも、ゲーム中毒だったのかも。
疲れたから、ゲームをしたい。という感覚は本当に正しいのか、と最近になってようやく考えるようになった。
ゲームは確かに楽しいが、内容によっては終わってからむなしくなる。
このゲームをやって何が成長したんだろうか、なにかの技術が身についたんだろうか、と考えてみると、なにかむなしい。
家族と一緒に楽しい時間を過ごせた、とか
頭の体操になった、とか
なにか自分にとってプラスのことがないと、純粋にゲームだけを楽しめなくなってきてしまった。
あと、疲れる。
10代の頃はゲームなんていくらでもできると思っていたが、20代後半になったころからか、1時間もするとすごく疲れていることに気づくようになってしまった。
こんなところで年をとることに気づくなんて。
むなしいとか、疲れるとか思うんだったら、それはもう気分転換ではないよね。
結局…
本当に気分転換したいのであれば、(自分の場合は)
- 体を動かす
- 本を読む
- 外に出かける
当たり前といえば当たり前なのだが、この辺が体感的に自分のプラスになることをした感じになって、良い気分になる。
もし私みたいに、
気分転換がなにか上手くいかない、気分転換をしたはずなのにむなしい、疲れている人がいたら、
自分の行動を振り返ってみてほしい。
そして、何をしたいか、ということより、何が自分にとってプラスになったか、何をしたあとに自分は前を向けたのかを見極めて、それを気分転換のルーティンにしてみてほしい。