2歳の偏食

2歳を過ぎて、だんだん食べるものが変化してきた。

朝欠かさず食べていたバナナを食べないと言い出す。

ゼリーに入っている果物は食べないと言う。

煮物やお味噌汁に入っている野菜を食べないと言う。

いやー、困った。

特に、少し便秘気味だったりすると、野菜が不足しているせいではないかと思ってしまう。

野菜、食べてくれ。

 

食べたらおいしいと言ってくれるのに、気分が乗らないせいなのか、食べずぎらいが増えてきた。

 

今日も豚汁の人参と大根を食べないという。

「えー、おいしいのに―。パパが食べちゃおうかなー」

「パパ、どーぞ」

全然いいよーむしろ大歓迎ぐらいな感じ。

これが気分なのであれば、提供の仕方を変えてみるか?

 

少しお行儀は悪いが、お箸に刺してみる。

一つは自分で持って、一つは娘にあげる。

「一緒に食べようか!せーのっ、ぱくっ!」

…食べた。

「おいしー!もうちょとにんじん食べたいなー」

お、これはいける?

もう一回、もう一回、おお、食べる食べる。

「大根もどうぞ、めしあがれ。」

「あーと。(ありがと)」ぱくっ

…食べた。

食器というか、出し方によっても違うのか。

 

次は刺しやすいフォークかピックでも使わせてみようかな。。。

2歳のおかたづけ

子供と一緒に遊んでいると、片っ端から片付けたくなるときあります…よね?

 

2歳の娘は気分が変わるのも、モノや対象に飽きるのもわりと早い。良く言えばいろんなものに興味があり、悪く言えば飽きっぽい。

テレビやyoutubeは子供は喜んで見るし、見たがるし、親も子供がそっちに集中していたら楽だけれど、やっぱり何時間も見せ続けるものではない。

 

家の中が散らかろうが、触って動いて楽しめるもののほうが親としては見ていて安心できる。

たとえこうなっても。

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こんな光景は日常茶飯事だよね!…きっとみんなも…うん、きっとそうだ。

いや、こんなのはまだまだ序の口だ。

ここから絵が書きたくなってペンを出し始める。おままごとがやりたくなって出し始める。ボール遊びがしたくなって出し始める。

気づけば部屋がおもちゃでいっぱい。

 

あー、片付けたい。

「次の遊ぶ前に、このおもちゃは片付けようね」と言っても、娘はすぐやってくれるわけではない。

早くやって欲しい。自分でやれば5分あれば片付くのに。

 

でも子供が遊び終わったあとに親が片付けて回るのは、やっぱりなにか違う。

時間がかかっても、自分で片付けさせないと。

 

うちの場合、次のおもちゃの前に片付けるのではなく、遊び時間が終わる頃にまとめて一緒に片付けている。

片付けるあいだにも遊びだすのが子供心。

それにつられて遊んでしまうのがパパ心。

それを叱るのがママ心。

 

それもそれで楽しいね。

 

片付けるタイミングとか、片付けをうまくやらせる方法とか、よかったらコメント欄で教えて下さい。

 

 

2歳児の歯みがきの味方

今日の夜は娘のハミガキがはかどった。

仕上げみがきする時は、嫌がってどっかへ行ってしまうのを、なだめすかすか無理やり連れてくるのがいつもの光景。

今日も「仕上げだよ」というと、自分の歯磨きをテーブルに置いて離れていってしまう。

追いかけると離れていく。無理やり連れてこようとすると本格的に嫌がる。

こっちも疲れるのは嫌なので、追いかけるのをやめて、どうしようかと考えた。

 

テーブルの上にあったものに目が止まる。

 

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item:【しまじろうのパペット】

こどもちゃれんじを初めると最初についてくるおもちゃ。

 

娘は「ばあ」と呼んでいる。「いないいないばあ」の「ばあ」。

親とボールなどで遊んでいるときにも、よく「ばあも〜」と言ってこのパペットを持ってくるぐらい娘はこれが好きである

 

?そういえばこれを試したことなかったな…やってみるか。 。

 

『ぼくが歯みがきしてあげるよ!』

パペットを右手にはめ、お世辞にも似てるとは言えない声で、しまじろうボイスを再現すると…

 

なん…だと…!?

なんと、娘が嬉しそうに自分からお膝ごろんをしている!

ちゃんと口もおとなしく開けている!

 

ふっ、ちょろいな…。

って、そんなことでこんなにあっさり歯みがきさせてくれるのか!?

親よりしまじろうか…と少し悲しい気もしなくもないが、そんなことはどうでもいい。

なんで今まで思いつかなかったんだ。

これは、、、今後すごく歯みがきしやすくなったのでは??

 

ただ、一つ問題が。

 

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しまじろう’が’持つとこうなる

 

それは、パペットの構造上仕方がないのだが、親指と小指で歯ブラシを持たなければいけないということ。

これは…やりづらい…。

 

やりづらい箇所を、空いている左手でやろうかと歯ブラシを持ち替えた瞬間、娘の目が歯ブラシを凝視する。

「え、しまじろうじゃないんだけど」と言わんばかりの目を見て、即座にパペットをはめている右手に歯ブラシを持ち替える。

くそ、やりづらい。

もういいや。

しまじろうが歯ブラシを持ってさえいれば、細かいことは気にしないだろう。

 

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パパ’が’持つとこうなる

小指を使うのをやめ、パペットをはめたまま普通に歯ブラシを持つと、しまじろうはハブラシを肩と首に挟んだような格好になり、少し大変そうだ。

でもパパは楽です。

ごめんね、しまじろう。そしてありがとう。

 

しばらくしまじろう作戦でいこうっと。。

 

子供の好きなキャラクターのパペットなら、効果ありかもしれませんよ?

お試しあれ。

 

 

 

「小企業のあり方」 と銘打った愚痴

”小”企業の抱えるジレンマ

世界は大きい会社を中心に動いている。それも、とてつもない大きな会社を中心に。

大企業の方針に、ほとんどその他の企業はついていかなくてはいけない。

大企業が作った新製品、新サービスを世に広めるため、協力することを求められる。

 

その反面、それらの新製品、新サービスを提供することが、自社の営業範囲や能力を超えていることを求められるように感じることもある。

 

つい最近、同業の会社が集まる、製品のweb勉強会があった。

自社の営業にとってすごくプラスになった、とも言い難かった。

というのは、その内容が、

 

超大企業が、大企業やお金持ちを相手に自社の製品を売り込むための戦略や製品を紹介するものだったから。

  • こういう新製品をこの前から発表していますよ。使ってくださいね。
  • 自社独自の保証システムもあります。これに登録してもらえれば、全国どこでもお客様に安心していただけるサービスを提供できますよ。

 

うちで扱う製品は、本社が海外にある、超大企業のものがメインだ。

その超大企業の日本支社の人が、自社の新製品の魅力や優位性について、web会議で語る。

超大企業が今売りたい製品を広めるための勉強会、というわけだ。

 

たしかにそれらの商品をメインに扱えれば、そのサービスを活用できれば、もっと売上を伸ばしていけるのかもしれない。ただ、今のうちのスタイルには正直あっていない。

うちにはその商品を扱える設備がない、そのサービスを活用するほど、大会社を相手にしているわけでもない。

 

熱量の差、というか、今見ているものの差、というか。

見ている市場規模が違うな、というか、見ているお金の額が違うな、というか。

webだから、圧力が弱まっている感じはあるが、もしこれがどこかに集まってのセミナーとかだったら、圧がすごかったりするんだろうな。

そんなことを思いながら勉強会を聞いていた。

……

………いや、これじゃ参加した意味がない。

こんなことを言っているだけじゃ、ひがんでいるだけの落ちこぼれくんじゃないか。

話の中の自社に活かせる部分は抽出して、社内で共有しよう。 。

 

 

結局、無理に追従しなければいいというだけの話

そう、そうなんだよ。無理に大企業の進めるものに乗っからなくて良いんだ。

え?開き直ってるだけじゃないかって?はい、そのとおりです。

 

うちは、その大企業の製品を扱っている、というだけ。

別にその大企業の子会社でも、フランチャイズでもないわけで。

うちの在り方はうちで決めればいい。

それだけのことだ。

 

個人もそうだけれど、身の丈に合わないことをするとつぶれてしまう。

それは現状で満足しきって何もしないことではない。

少し上を目指して努力することは大切ことだ。

少しの成長の積み重ねが、時間をかけて大きな成長を作るのだ。

 

自分が、会社が、できることを過不足なく把握し、その中で少し成長できることに取り組む。

頑張るぞ!”小”企業!

 

 

「気分転換」というワナ

時間の使い方って難しい。

自分の行動を御さないといけない、というよりも、自分の場合は感覚の勘違いに気づかないといけない、というほうが正しいかも。

 

疲れると気分転換したくなる。

日中頑張って仕事して、帰ったら夕飯の片付けに娘の相手に……自分頑張ってる。

なんか疲れたな…よし、気分転換だ!と思って、ゲームなどやり始めると、いつの間にか時間がどんどんなくなっていく。

ああ、もう寝ないといけない。

本当は部屋の整理を考えないといけなかったのに。あ、ネットであれ注文するの忘れてた。読みかけのあの本も読みたかったな。妻と話す時間をもうちょっととればよかった。

 

そんな後悔は何回しただろうか。

 

「気分転換」とはなんぞ

ゲームをすれば気分転換になる、というのは、長年培ってしまった感覚の勘違いだ。

子供のころからゲームが好きだった。特にRPGが好きで、FF9を3回買い直すというアホなことをやらかしている。(switch版を入れれば4回だった)

テストで頑張るとゲームを買ってもいい権利がもらえる(※買ってくれるとは言ってない)という我が家のシステムがあったため、ゲームがご褒美、という感覚があったのだろう。

暇ならゲーム、疲れたらゲーム。

体を動かすことが日課になっていた時期もあるのだが、社会人になって仕事のストレスが増えると、少なくなった残り時間の中で無理やりゲームをするようになっていった気がする。

今思えば、なんてもったいない時間の使い方だったんだろう。

気分転換というよりも、ゲーム中毒だったのかも。

 

疲れたから、ゲームをしたい。という感覚は本当に正しいのか、と最近になってようやく考えるようになった。

ゲームは確かに楽しいが、内容によっては終わってからむなしくなる

このゲームをやって何が成長したんだろうか、なにかの技術が身についたんだろうか、と考えてみると、なにかむなしい。

 家族と一緒に楽しい時間を過ごせた、とか

 頭の体操になった、とか

なにか自分にとってプラスのことがないと、純粋にゲームだけを楽しめなくなってきてしまった。

あと、疲れる

10代の頃はゲームなんていくらでもできると思っていたが、20代後半になったころからか、1時間もするとすごく疲れていることに気づくようになってしまった。

こんなところで年をとることに気づくなんて。

 

むなしいとか、疲れるとか思うんだったら、それはもう気分転換ではないよね。

 

結局…

本当に気分転換したいのであれば、(自分の場合は)

  • 体を動かす
  • 本を読む
  • 外に出かける

当たり前といえば当たり前なのだが、この辺が体感的に自分のプラスになることをした感じになって、良い気分になる。

もし私みたいに、

気分転換がなにか上手くいかない、気分転換をしたはずなのにむなしい、疲れている人がいたら、

自分の行動を振り返ってみてほしい。

そして、何をしたいか、ということより、何が自分にとってプラスになったか、何をしたあとに自分は前を向けたのかを見極めて、それを気分転換のルーティンにしてみてほしい。

ざんげ

昨日の夜は娘が寝なくてしんどかった。

寝ないだけならそんなに気にならないが、ママがいい、とずっと泣くところがつらかった。

なんとか機嫌をとろうと、歌とかいろいろやってみたが、ママがいないことはすぐに頭に上ってきてしまうらしく、寝室のドアのところまで行っては、「ママ、いない」と繰り返していた。

パパでもいいじゃないか。泣

やはりこれは、2歳になるまであまり寝かしつけをしてこなかったツケなのか。

 

赤ちゃんのころからパパと一緒ではまあ寝ない子だった。

昼間は、パパが嫌いということは全くないのだが、寝ることに関しては、パパでは必ず大泣きしていた。私が寝かせようとすると大泣きするので、ママが自分でやると言って、夜の寝かしつけはこれまでほぼママがやっていた。

その時の苦しさを我慢しておけば、今もう少し楽になっていたのかな。

 

ずっと「ママ、ママ」と泣いてるので、心が折れそうだった、と話してみたが、ママに言わせれば、「心が折れそうなことなんて、これまで数えきれないくらいあった」と言う。

確かに理由もわからず寝てくれないことが続くのはそれはつらかっただろう。でも「そうだね、つらかったね」ととりあえず共感してほしかった、ただねぎらってほしかった。自分がこれだけつらかったと言われて、嫌な気分になってしまった。

でもそれは、自分の気持ちにしか目が向いていなかったからなんだろう。

昨日の夜は、ただただしんどいという気持ちしかなかったから、これまでのママの苦労を思い図る余裕がなかった

ごめんね、ママ。

自分も、数えきれないくらいあったって言えるくらいに、これから頑張るね。

心のベクトル

人からどう思われているかを気にしない強さがほしい。

 

自分の周りにいる人の顔や態度が明るくないと、なぜ、どうして、自分に原因があるのではないかとすぐ不安になってしまうのは、小さい頃から変わらないようだ。

 

 

10人程度の小さな会社で、施工主任の私は、社内で2番めに若い。

年上の同僚に仕事を割り振るのは、かなり気を使う。1人年下がいることに本当に救われている。

 

この仕事を割り振ったら嫌な顔をされるんだろうな……ほら、やっぱり。

作業から戻ってきた人がやたら無口だったり、ため息まじりにドカッと椅子に座ったり。

「なになに、なにか嫌なことでもあるんですか。不満があるなら言ってくださいよ。」とサラッと言えたら楽なんだろうな。

自分の割り振りが良かったのかどうかいつも心配になる。なにか言われるのかとビクビクしてしまう。

そう思っていると、人と目を合わせづらくなる。会話が減る。

そして思う。居心地が悪いなあ。

 

 

最近本を読んだことで、心のベクトルについて考えさせられた。

人の顔色をうかがって不安になる、自分がどう思われるか気になる、ということは、心の矢印の方向が自分のほうへ向いているのだ。そうなると緊張して、目を合わせにくい。そして目を合わせてくれない人とは、信頼関係を気づきにくい。

そうか。そうやって自分は自分で居心地を悪くしていたんだ。

 

人の顔色をうかがってしまうことはマイナスだけではないと思う。なぜって、人の変化に気づけるということでもあるのだから。

ただ、心の向きを自分に向けていてはだめなのだ。もっと、目の前にいるその人に、外側に向けなければ。

 

みんな悩みや不安を抱えながら仕事をしている。それは自分だけではない。

自分が嫌だ、ストレスだと感じていることがあるのなら、同僚にもまたその人なりのストレスがある。

じゃあ目の前の相手の不安を思いはかってみたらどうだろう。

出先から帰ってきて様子がおかしかったら、率直に聞いてみたらいい。申し訳無さそうにしてはいけないよ。堂々として、相手の顔を見て、今日の仕事はどうだったか、体調は悪くないか、聞いてみればいい。

別に明確な答えが得られなくてもいいんだ。気遣いは必ず伝わってる。

 

自分の割り振りが悪いと言われたら、直せばいい。逆に言われないのであれば、そこは心配しなくてもいい。人が気分を害する原因は、いろんなところにあるんだから。その原因がいつも自分にあると考えるのは、おこがましい。

大事なのは、コミュニケーションが取れていること。会話がないと、誰が何を考えているのかわからず、不安になる。そのモヤモヤとした不安は、いつも自分の中を漂い、会社の中を漂う。その不安を振り払うには、自分が人に視線を向け、関心を向け、話しかけるしかないんだ。

自分の不安は、突き詰めると自分でしか振り払えない気がする。

 

 

心のベクトルが外側を向くことは、自分のことを気にしすぎないこと。気にしていいんだ。自分だもの。でも、自分の気持ちに囚われてしまってはいけない。

目の前のやるべきことを終わらせたら、少しだけでいいから他の人の様子を気にして、その人に話しかけてみる。

これができた日は、いつもよりも不安が少なく、スッキリした気分でいられると思う。